京都にて三学を聞く 2012 5 20

京都にて、高僧が聞く。
「三学とは」
「戒、定、慧」
「知識ではない。どう実践するか」
「自らルールを決めて、それを守る。
 平静心を保ち、思索する。
 かくて知識は智慧となる」
高僧は、音もなく、消えた。

 三学とは、仏教において行なうべき、
最も大切な修行方法と聞いたことがあります。
(以上の文章は、2003年に書いたことを編集したものです)

 さて、私にとって、京都とは、
なぜか禅宗のイメージがあります。
そういうインスピレーションを受けるのです。
 禅の言葉に、「そっ啄同時」(そったくどうじ)という言葉があります。
漢字では、「そつ」は、へんが「口」で、つくりが「卒」となります。
 卵の殻を雛が内側からつつくことを「そつ」と言います。
同時に、親鳥が外側から殻をつつく「啄」によって、
卵の殻が破れて、中から雛が出てくるのです。
 この言葉については、私は、こう考えています。
学問(知識)だけでは、道は開かれず、
インスピレーションだけでは、道に迷う。
学問とインスピレーションによって、道は開ける。



































































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